市報にいがた
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インターネットでお届けする「市報にいがた」 / 平成15年6月22日 第1895号

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    1895号4面

◆伝統ある竹尾のキク栽培
 若手生産者が活躍

 東地区では、砂丘畑の特性を生かしたネギやキャベツ、馬鈴薯などの野菜のほか、チューリップやアイリスの球根生産、キク、ユリなどの切り花栽培などが盛んに行われています。中でも竹尾のキク栽培は、江戸時代後期から行われており、歴史ある花の産地です。
 新潟は寺社が多いこともあって切り花の需要が高く、市での販売を始めてから生産量が伸びました。今のような本格的な栽培は、昭和30年代半ばから始まったそうです。
 この竹尾地域には20・30代の若手生産者がそろっています。青年会も結成され、新しい品種の栽培や共同出荷などを行っています。
 皆川浩明さん(28)は、農業に取り組み始めて8年目。代々続く農家の後継者です。「親の影響はもちろんありますが、学校で農業を勉強していくうちに面白くなってきて」と家業を継ぐ意思を固めた理由を話します。
 「すべて自分で作って、それが形になる。思い通りになったときは本当にうれしいですよ」と農業の魅力を語る浩明さん。父親の健一さん(53)は「まだまだこれから」としながらも「徐々に自覚が出てきた。今後が楽しみ」と目を細めます。また、「何でも話せる若い世代が周りにいて、いい刺激になっているようです」と地域全体にも明るい期待をかけます。
 昨年から手掛けている「LAユリ」は、さわやかな香りの新品種。県外市場の評判も上々で、浩明さんは手ごたえを感じています。「いつかは『ユリといえば皆川』と言われるぐらいになりたいですね」と笑顔で話しました。


◆児童センター
 地域みんなで支えあい

 子どもたちの明るく元気な声が飛び交う児童センター。ボランティアの皆さんが、さまざまな方面から協力しています。
 放課後や休日のプレイルームでは、小学生のころ同センターで遊んでいた中学・高校生が"里帰り"。子どもたちのリーダーとなり、一緒になって体を動かしています。
 また、平成12年には地域ボランティア組織「児童育成・万代クラブ」が設立されました。「子どもたちの健全な育成には多様な人間関係が必要。このクラブは、たくさんの個性を持つ幅広い組織だから、子どものころからいろいろな人とかかわることができます」と代表の植木信一さん(36)は話します。
 以前からのボランティアを含め、会員は現在72人。得意分野ごとにグループ編成し、同センターで開催する絵本の読み聞かせやスポーツ指導などの事業のほか、子育て相談、遊び場の安全点検・清掃なども行っています。
 「趣味を生かして気軽に参加できる場だから、大人にもメリットがある。もっと多くの人に参加してもらって、こうした取り組みがどんどん広がっていけばいいですね」と話す植木さん。子どもたちが遊び、学び育つ地域づくりに向けてこれからも活動は続いていきます。


◆開かれた学校 地域との交流
 市立養護学校

 市立養護学校には現在、障害のある小学1年から中学3年生までの児童・生徒約90人が通学しています。地域に開かれた学校を目指し、さまざまな体験活動や地域イベントへの参加、小・中学校などとの交流を盛んに行っています。
 5月22日には、オカリナサークル「かるがも」の皆さんを招待し、4年生が交流演奏会を行いました。「アンパンマン」「となりのトトロ」などのリズムに合わせ、子どもたちは踊ったり、タンバリンなどの楽器を使ったりと大喜びの様子。同サークルの山本ムツさんは「2年前に初めて来たときと比べると、今はちゃんと曲を聴いてくれています。みんなの成長した姿を見れて、うれしいですね」と話します。
 金子浩美教諭は「まず地域の人に学校のことをよく知ってもらいたい。そして、貴重な地域資源を活用して子どもたちの視野を広げられたら」と語ります。小学校との交流では、回を重ねるうちに積極的にかかわり合う姿が増えてきました。同校では今後も、こうした交流に取り組んでいきたいと話しています。


◆300年以上の歴史
 沼垂木遣

 沼垂の白山神社(沼垂東1)の大祭に合わせて行われる沼垂まつりは、勇壮な「献額灯籠」で有名です。
 各町内から集まった灯籠が激しくぶつかり合う、この献額灯籠に欠かせないのが沼垂木遣。8月16日、灯籠の押し合いの前後に、笛や太鼓の音とともに威勢良く唄われます。
 300年以上の歴史を持つといわれる沼垂木遣ですが、現在は保存会が結成され、代々受け継がれています。沼垂まつりのほか、郷土芸能発表会などのイベントでも披露されています。
■そのほかの郷土芸能
 蒲原神社(長嶺町)や三社神社(三和町)の祭礼で奉納される神楽も伝承芸能として知られています。
 また、力強いリズムで打ち上げる万代太鼓は、新潟まつりなどでも、すっかりおなじみ。小・中学校や企業などのクラブ活動にも取り入れられ、幅広く親しまれています。


◆みんなで歌う
 地域の歌

 みんなの街に朝がきた 希望にふくらむ朝がきた あなたもわたしも君も僕も 声かけあって おはよう おはよう おはよう――。
 毎年11月に開催される木戸の音楽芸能文化祭では、地域の歌「みんなの街」を参加者全員で歌います。
 作詞をしたのは、上木戸で魚屋を営む坂井広子さん。地域の合唱サークル「くわの実コーラス」での活動がきっかけでした。坂井さんは「誰でも気軽に歌えるように。そして、あいさつや声かけを自然に交わせるまちになってもらいたくて」と詞に込めた思いを話します。
 ことしで11回目を数え、秋の恒例行事として定着してきた同文化祭。地域の歌は、ずっと歌い継がれていくことでしょう。


◆大形の夏
 盆踊り大会

 通船川の環境整備などに熱心に取り組んでいる大形地域では、毎年8月上旬に手作りのお祭りが行われています。
 「なるべく寄付を集めないで、しかも子どもたちにお金を使わせない祭りに」と語るのは第1自治会長の佐藤泰雄さん(55)。引換券を持参した人に参加賞をプレゼントしたり、盆踊りに仮装大会を取り入れたりと内容には趣向を凝らします。
 昨年は800人近い住民が参加しました。「祭りは地域のコミュニケーションの場。少しずつでもかかわって親ぼくを深めてもらえれば」と佐藤さんは話しています。


◆通船川
 川の再生をまちづくりにつなぐ

 阿賀野川はかつて、津島屋付近で西へ流れを変え、信濃川に合流していました。享保15年(1730)、増水した阿賀野川の水を日本海に放流するため、新発田藩が松ヶ崎浜(現在の松浜)に堀割を掘りましたが、翌年の洪水によって決壊。川幅を押し広げ、阿賀野川の本流となりました。
 その後、信濃川河口の港の水量が減少したことなどを理由に、旧阿賀野川の河道を開削する工事が行われました。これが現在の通船川です。明治から昭和の半ばにかけて、蒸気船や農産物を運ぶ船などが往来し、川は大変にぎわいました。
 しかし都市化が進むにつれ、工場や家庭からの排水などが原因で川は次第に汚れていきます。新潟地震後、最上流(津島屋)と最下流(山の下)を閘門で締め切り、ポンプで排水する川となったことも汚濁に拍車をかけました。昭和44年には、川の水質ランキングで全国ワースト1になってしまったほどです。

 通船川を再生させよう

 きれいな通船川を取り戻そうと、市民グループが相次いで設立されました。現在は、行政と協働型の「通船川・栗ノ木川下流再生市民会議」が結成され、各団体が草刈りやごみ拾い、シンポジウム、川下り体験、野鳥観察など、さまざまな活動を行っています。
 「通船川・栗ノ木川ルネッサンス」の代表、星島卓美さん(68)は「10数年ぶりに帰郷して通船川を見たときはショックでしたよ。少年時代は生活の場でしたから」と活動当初を振り返ります。
 川の再生は、今では企業を含めた地域全体の取り組み。その輪は年々広がり、以前と比べて水質は改善されてきたといいます。
 「両岸に遊歩道を設け、散策や釣りなどを楽しめる空間にしたい。水上バスも運行させて、通勤通学や観光船として活用できたら」と将来の夢を話す星島さん。みんなが触れ親しめる通船川を目指して、地域の思いは一歩一歩着実に進んでいます。


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